一大刑事司法改革と流浪の民の乱

4月前に、我が棲む昭和40年代の学生アパートに映画ロケが入った、このプロデューサー氏が挨拶に来たから、「ワイは狂人扱いされて三十年近くなる、我が事件から最高検の鶴田小夜子は自殺した」 これに氏は「鶴田の死亡は知っている」 まあ話を受けてくれるだけでも良いが。

 

そこで氏の事務所に、我が事件逮捕を実名報道する商業新聞五紙の記事をfaxした、そして我が判決裁判長は逆転無罪判事の原田国男(大和田伸也役)であり、二審の主任弁護人の原和良は、ヒット映画の「それでもボクはやっていない」の役所広司である。

 

翌朝に氏が訪れ着信確認を告げた、我が事件のパブリック化を伝えたところ、翌日のhpアクセスは「赤沼康弘弁護士」の検索ワードが続いた。

これも我が事件に思う、意味ある偶然・シンクロニシティであり、こうした現象が続いている、2000年9月、虚偽告訴事件を提訴した民事の敗訴判決を「裁判を正す会」の冨島克子会長に伝えた。

この時から我が事件は箝口状態にとなり、蚊帳の外となった、しかし界面下では、被疑者国選。裁判員制度、刑訴法の改定等の一大司法改革がされてきた。

もし映画になるものなら、題名は「法匪に蜂起した流浪の民の乱」がいいな。

 

強大な国家権力と闘うには、ゲリラ戦術と遊び心が不可欠である。