出会いの始まりから再審開始を見届け召天した猫

 

 

今朝零時、抱いていた愛猫が腕の中で息を止めた、路上生活5年を経てインフラ社会に戻って以来の伴侶的同志である。この子を保護して再審請求申立を始めた、そして17年近い歳月を共に生きて、本日再審開始と言える書状が着いた。

わが再審請求は過去三回、虚偽告訴に基づく免訴事件に検察官の検事面調書の偽造署名等は、言い逃れが出来ない弾劾証拠である。

四次は弁護人不在の刑事裁判がされた、免訴事件であることをこれ以上の証明する必要はない、王手である。

二審の原弁護士は、刑務所に収監される下獄に際して「やり直しは利くから」 出所後直後に「やり直しの意味」を原に問うと「人生のやり直し」だった、しかし元全学連委員長の原ゆえ言葉通りには受け取っていない。

 

事件から艱難辛苦の孤立無援の四半世紀余が過ぎる、この暗澹たる茨道を往くには確たる証拠と楽観性、そして敢えてスピリチュアルな思考は有利に働く。

我が事件では、事件経過などプロセスを省き一瞬にして結果だけ見える、いわゆるヒューリスティックが起きた、しかし事件解決が今まで延びるは想定外である。

また我が事件では説明のつかない奇跡の連続であり、警察が証拠隠滅をする虚偽告訴の証拠の存在、これを崩す逮捕の5年前のルーチンな出来事が思い出されから、今日までの冤罪主張が適った。こうした意味ある偶然の連続である。

 

この愛猫の存在には言い表せぬ程に気持ち助けられた、この後のペットロスが怖いが、ここで再審開始となれば、彼女も喜んで呉れるだろう、合掌。

 

以下↓ 二次三次共に判決謄本の提出は求められなかった

求意見書の提出は1月27日まで、新法整備もやや整い審理は尽くしており、3月までには再審事件の免訴主張は認められるだろう。