提訴された女性は、北詰の逆転無罪が嘘とは知らなかった

2005年当時に、池上警察から保険金殺人容疑で調べられていた北詰は、2チャンネルで「俺は女房を保険金殺人した」と騒ぎ、また捜査かく乱を狙い、「野武士の会」を設立して、裁判所前等で街宣を行い組織化を謀った、これに裁判被害者が集結して、会長の北詰は権謀を使いあっという間に会員は離れ会は瓦解、一人残った資産家女性(以下、河野)に結婚を迫り、河野の資産管理者として、係争中であった欠陥住宅訴訟の弁護士を解任、また家政婦問題も解決した。

法律に詳しいという北詰は河野を操り、相手の住宅会社への街宣等の脅しで一千万円を取った、しかし狡猾な河野は一千万円を独り占めにした、そこで反社の北詰は河野とのピロートーク録音を買い取れと脅した、これが北詰の市原傷害事件である千葉地裁は北詰に執行猶予付き有罪の判決をした、これに北詰は控訴して刑事記録のネット公開をした、北詰の非弁行為の共犯者である河野は、怯えて控訴審の結果も知らない、北詰の言う逆転無罪は本当と思い込んでいた。

事件から三年直前に北詰は、国・大高・河野を同じ内容の訴状で提訴、国と大高への訴状は補正不能で門前払い、しかし何故か河野だけは弁論が長々とされた

提訴された河野は怯えて、資産家であるにもかかわらず本人訴訟で手書きの書面を提出、この頃に河野は、我がhpを見て、初めて木原智子検事の自分の検面調書が作成されているのを知り驚愕、会ったこともない木原検事の書面に自分の署名と指印が押されていることに仰天した。

因みに、北詰は婚約した河野に「死んだ女房」の件を自白しており、17年も病弱な北詰の生活扶助したのが、八田秀子さんと明かした、河野はこれを当方に話した、そこで、女房とは八田秀子さんだろうと北詰に伝えた、これに北詰は驚愕動転した、北詰は一回りも年上の八田さんのヒモをしていたとは、河野の検面調書にもある。


北詰の非弁行為の共犯である河野は、北詰の控訴審は一審追認であることを知らずに、北詰から提訴されていた、この三年後にカギがある、つまり北詰は執行猶予期間を考えての事、そうとは知らない河野は提訴に怯えた、これを裁判所は長々と審理解明した。

だから勝訴した河野は、この訴訟記録の閲覧を怖れて身を隠している。

 

北詰は先月まで、サブタイトルは以下の通りであったが今月に入って取り下げている。

北詰淳司:正々堂々と法曹界・妨害者等と戦う冤罪被害者(無罪確定済・最後の戦い・最終証拠確定段階:最終国賠準備段階等。)