遅らばせ乍ら脱却した我が酔生夢死

立退料の話はワイの身近でも起きている、この春に、棲む築60年のアパートの取り壊しを家主から、あなただけにと内々に伝えると聞かされた。

現在に三者協議中の再審事件の解決も望め、退去予定の話には嬉しかった、もちろん一円たりとも要らない、ワイには四半世紀余りに及ぶ無効裁判の補償がある、また目先の白バイでっち上げ事件訴訟では、そこそこの和解金が見込める、貧乏人が突然に成金となれば身の破滅だ。

この襤褸学生アパートを映画にした「コーポ・ア・コーポ」の全国上映が11月17日に迫った、やっと九月となり、裁判外での目的・希望もあり、Sさん、Iさんに送る画作に勤しむか、間違いなくカネが有れば絵なぞは描かない、創作とは寂しさに基づき、寂しさとはカネが無いことなり。

 

自称過激派の田中冽を二度提訴して、被告田中は「裁判は勝手にやれ」と擬制自白して僅かな訴訟費用の支払いを拒絶する、田中は先月に渡米してコロナに罹患して入院、前回の渡米では脳性麻痺でチャーター便で帰国、八十になるそうだがアル中で医者からの断酒命令に8日が経つという、170cm, 40数キロの体だそうだが、チェーンスモーカーでもある、こいつの元気には心底に感心する。 田中のブログから抜粋↓ 実は某過激派の機関紙購読するのは田中の訃報記事にある。

何と、うちのかぁちゃんが熱い炎熱の中をとことこやって来た。

「先生にいろいろ聞きたいことがあるの」と。

たふん。勝手にさらせ。わかっていた。

脳神経外科として名の売れた扇一先生に何とか頼んでアルコールをやめさせようという魂胆だ。

この世で一番難しいことは、大酒飲みが酒をやめることだ。私も何度禁酒を誓っても元の木阿弥、またちびちび、いつの間にかすっかり酔い痴れるまで飲んでいた。脳梗塞を患ってからは1年半あまり、禁酒したものだが、いい気持ちになって死ねればそれで本望だと、言い訳しつつ飲み続け、翌日酔いが覚めると、やはり、酒をやめるしかないな、と茫然自失して考える。

かぁちゃんは扇一先生に「お酒をやめるようにいってください」と必死で訴えた。

「やめなさい、とはいえないですね。アルコールも、適量なら体にいいこともあるからです」

「うちの人は昼間から飲み続け、夜前後不覚になって昏倒するまで飲んでいるのです」

「うむ、それなら間違いなくアルコール依存症ですね。だったら、すっかりやめなさい!」 渡りに船とはそのことだ。

今までかかった医者の中で一番信頼している扇一先生のその一言で、私は20歳の頃から延々と飲み続けたアルコールをピタリとやめた。

――まだやめてから8日目なので、幻覚に襲われたり、眠れなかったり、寝汗をびっしょりかいたりと……様々な禁断症状が続いているが、人生の最後が何かとてもいい方向に向いてきた日々をそれとなく感じている。不思議なものだ。

今まで80歳か、あわよくば82歳まで生き延びようなどと四苦八苦していたが、なぜか、あと10年、90歳まで生きようと思うようになっていた。